最近アマゾンプライムやネットフリックスでよく日本の昔のヤクザ映画を観ている。
有名どころで高倉健さんや菅原文太兄いや松方弘樹など。
そこで、大昔と割と近代で役者の配役などを調べてみる。
つまり主役級と脇役の動き。
たとえば、昔は脇役で時代とともに出世して主役に抜擢されているかどうか?
おもしろいことに、主役はずっと主役。脇役はずっと脇役なのだ。
もちろん、最初だけは脇役だったりして主役に抜擢されるケースもなくはない。
しかし、ほんの少数である。
これは、どういうことか。
想像するに、結局のところ本人の希望、思い入れが大きいと思う。
もちろん、映画俳優は恰好よくなくてはいけない。
本人だけではどうにもならないところもあるだろう。
しかし、恰好よくても主役級になれない人も多数いる。
主役になれば責任が重い。作品がヒットするか?しないか?左右する存在となる。
しかし、その分脇役と比べ報酬も社会的地位も数倍、数十倍の違いが出るものである。
一方脇役は基本監督の言う通りに動けばいい。ある意味楽だろう。しかし、自由は制限され理不尽な扱いをうけることも多々ある。代わりはいくらでもいる。
大変厳しい世界であるが、これは一般社会、企業の中でも同様か。
つまり、なんでもそうだが、いつか誰かが評価してくれるとか思うのは幻想だと。
自分がどうしたいのか?どうなりたいのか?何がしたいのか?
そうなるためには何を勉強したらいいか?どう行動したらいいのか?
すべては自分にかかっている。
結果はどうなるかわからないが、すべては自分の選択の結果だと。
少なくとも主役を目指さない人に偶然主役が回ってくることなど、まずない。
競争が激しい。というよりも、本人の希望のほうが大きいのではないかな。
そんなことを感じている。
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